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KAIHOTSU Chie/開発チエ
アートのお作法

慶應義塾大学卒業時より「美術手帖」「STUDIO VOICE」「SALE 2」などに美術批評を執筆。批評家生活10年経過した後、筆を折り帰郷。犬2匹と実家でのんびり生活中。

日別アーカイブ: 2012年1月18日

東京紀行2泊3日、1月

東京の某ホテル。真夜中、Facebookのチャットウィンドウがひょこっと上がった。

「明日東京戻ります。いつまでおるん?」

「明日まで。すれ違いだね。」

作家でDJの清野栄一。大学からの付合いで、私が1つ上だから、彼は私を「おねーたま」と呼ぶ。

福島県出身。かなりな量の執筆を依頼されこなしたとのこと。実家に戻っていた。

「震災のリアリティがあまりにあるんで驚いたよ。東京。」

「それでよろし! ここ呑気なもんだよ。東京の人が一番騒いでます。

不条理が日常です。文学なんて超えちゃってます。」

 

今回の東京紀行は、渋谷から始まった。旧知の仲の飯田高誉氏が館長を務める、「青森県立美術館展」を渋谷パルコで観て、それから、16年ぶりに会うフリーのテレビディレクター吉田泰子嬢とお茶。

彼女は何度もカメラ抱えて相馬に取材に行っていると語った。取材の困難さも。

二日目、カルチュラル・スタディーズの第一人者毛利嘉孝氏と、もと新人類代表メディア研究科の野々村文宏氏と、学生で自主レーベルをやっているN・Kクンと、新宿でタイ料理を楽しむ。

「学部終わってからベルリン行くといいよ。」

進路に悩むN・Kクンに毛利氏が言う。「物価も安いし住みやすいよ。」

あら、私も行こうかしらん? なんて思う。

帰りは野々村氏と六本木まで。食事中から、3.11の話題、道中、それが続いた。

大江戸線の深いエスカレーターに導かれながら、ふと思う。

未来都市東京に、核に侵された酸性雨が加わった、「ブレード・ランナー」さながら。

だが、80年代を共に生きた仲間たちからでも、そんな非人道的な言葉はジョークでさえ出なかった。

東京はまだ、あの惨劇の痕跡に打ち震えていた。

 

そして、六本木にて、アートプロデューサーの室井絵里女史と合流。

森美術館の「メタボリズムの未来都市」の最終日に滑り込み。

感想。なんだこの元気さは? 何、この未来へのオプティミズム!?

震災で開催が遅れたというこのエキシビジョン、後で手に入れたカタログの文章も、3.11に触れていた。

「被災地を復興するとなれば、それは未来に向かう創造的な復興であってほしいということは多くの識者が語っている。おそらく一番重要なことは、次の世代の人びとが、どのような生活をするかというビジョンと、それを支える未来に対応したインフラの構築ではないだろうか。洞察に満ちたインフラの構築こそ、メタボリズム思想の根幹にある最も重要な概念ではないだろうか。それだからこそ、変化に応じて増減し、役割を変えることができる環境に優しい建築・都市の提案であったのではないか。」(南条史生)

だそうです。同意。リメンバー・メタボリズム! 復興、かくあるべし、と願う。

(南条さんとも長い付合い。追々、色々なエピソードを紹介して行こうっと。)

翌日、東京都立現代美術館を訪ねた。これまた旧知の仲の学芸課長・長谷川裕子女史不在。ガックシ。

「ゼロ世代のベルリン わたしたちに許された特別な場所の現在」を観た。

これ、「?」なエキシビジョン。

日本人アーティストがほとんど問題にしない人種差別・・・しかしこれ海外のどこの都市にもある。

アートにとっては、それはクリシェ。どこをどう見ても「特別な場所」には見えない。

目新しさがない。「あー、こういうのあったね。」ってな作品ばっかり。

正統なアートの文脈の上にいるのは間違いないんだけれども。

(問題発言ですが、日本には正統なアートの文脈ってありません。因みに。)

「なんで毛利さんベルリンが良いって言ってたんだろう? 音楽には良いのかな?」と、悩む私。

一緒にやっていた「建築アートがつくりだす新しい環境―これからの“感じ”」展の方が面白かったな。

しかし、こちら、メタボリズムを見習えよ、って感じ。元気はない。なんというか、内向き。

 

以上、ハイスピードで東京での2泊3日を振り返ってみました。

ブログ、徐々に「アートのお作法」に迫って参ります(笑)。

 

 

 

 


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