開発チエ
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KAIHOTSU Chie/開発チエ
アートのお作法

慶應義塾大学卒業時より「美術手帖」「STUDIO VOICE」「SALE 2」などに美術批評を執筆。批評家生活10年経過した後、筆を折り帰郷。犬2匹と実家でのんびり生活中。

月別アーカイブ: 2月 2012

黎明期

それは1983年の出来事。大学生が小脇に抱えている姿が目立った。『構造と力』発刊。

難解な本の異常な売れ行きに、山口昌男は「みんな前書きしか読んでいない。前書きに影響されているんだ」みたいなことを言っていたっけ。

浅田彰の登場だ。

ニューアカブームの到来である。

友達に、「ちえ、解説してよ。」と頼まれたのを覚えている。「こんなチャート式の参考書みたなものどうやって解説すんの?」と私は思った。そう、不幸なことに、私は判っちゃった方だったのだ。

浅田彰の活躍した時代、ナム・ジュン・パイクやローリー・アンダーソンらが相次いで来日。

その未来都市的なインスタレーションやパフォーマンスに、YMOと同じ匂いを感じ取った若者は、嬉々として群がった。

飯田高誉氏と知り合ったのもこの頃だったっけ?

新しいカルチャーの時代の幕開けだった。

アカデミズムにとっても無論それは衝撃だった。当時は外国で出版された本をチビチビ翻訳して盗用しては本を書いていた(俗称で「おつゆ書き」という)アカデミシアンたちは、昨日出たフランス語の論文を今日にはサマライズして発表してしまう浅田彰の登場で、随分困ったもんだった。

当時普通の大学生だった私は、偶然、雑誌『GS』に出入りしている東大生たちと知り合って、「面白い子がいる」とか言われていたものだった(笑)。

シミュレーショニズム登場以前に、アートの大転換は、既に始まっていたのだ。

ラカンやドゥルーズが続々と翻訳され、私はそれを片っ端から読み漁り、ゼミで怖がられる先輩になっていた(笑)。

そして批評を始めて、現代思想用語を並べた。

そんな空気感を感じて制作を始めたコンプレッソ・プラスティコの二人から、随分喜ばれたもんだった。

『美術手帖』で2年間、展評係をしていて、東京中をかけずり回っていたが、展評委員は二人いて、ご大家の批評は新聞記者様にお任せし、私は新人発掘に骨を砕いた。

いつしか、作家さんに名刺を渡すとビビられる存在になっていた(笑)。

そして90年代に突入。

そこから先のカルチャーの変遷は、毛利嘉孝の『ストリートの思想』に詳しく書いてあるので読んで下さい。

批評家として生きていて面白い時代だった。まだ村上隆もヤノベケンジも認められていなかった。

できたてのレントゲン芸術研究所の床に座って皆でピザを食べていたり、下北沢で批評家仲間と管を巻いていたり。

初雪の日の午前2時に椹木野衣と伊藤俊治に呼び出されて、行ってみたら二人ともベロンベロンに酔っていたり(笑)。

確実に、そこには新しい未来派が形成されつつあると、皆が信じていた。

東京には、新しいアーティな風が吹き始めていた。

 

 

 


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