開発チエ
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KAIHOTSU Chie/開発チエ
アートのお作法

慶應義塾大学卒業時より「美術手帖」「STUDIO VOICE」「SALE 2」などに美術批評を執筆。批評家生活10年経過した後、筆を折り帰郷。犬2匹と実家でのんびり生活中。

アートという存在の耐えられない軽さ

超のつくお久しぶりでございます。

過去文見てると、自分でも絶叫するくらい変なこと書いている(笑)。

私が現役の美術批評家だった頃、難解な哲学・思想用語で埋め尽くした、

「わかるやつだけわかればいい!」的な文章ばかり書いておりました。

ブログってそれで良いのかなぁ~?とか悩んでしまってまして。

しかも世は、バブルのツケの如く不景気続き。

アートの担い手は、企業ではなくNPOになっている昨今、

「あんた間違ってる!」とか言い難い状態で(^_^;)

アートのNPOのリンク

これもかなり古いサイトみたいですが、一応Googleのトップに出てきたので貼っておきます。

しかしなぁ…NPOで頑張っている若人たちには悲哀すら感じるバブル世代のワタクシ。

「昔はヴーヴ・クリコがスポンサーで」とか言うと、「ぶーぶくりこって何ですか?」って調子。

涙腺がつい緩くなります。

 

しかも、「ゼロ世代」とやらの批評家たちは、ファイン・アートにほぼ興味無し。

初対面でワタクシをババァ扱いした東浩紀を筆頭に、

濱野智史宇野常寛らは、アニメやラノベやらのサブカルチャーにしか興味が無い。

アートって批評あっての物種なんですけどね。

で、新しい「イズム」が全く発生しない中、村上隆や会田誠の活躍だけ目立ってまして。

村上は批評に多少なりとも興味を示しますが、

会田クンは批評家大嫌い。「批評家でごめんなさい」状態ですw

そういえば先日、村上隆とTwitterでやりあいました。

彼はいわゆる「エゴサーチ」を日々欠かさないらしく、

「村上隆」と書かれた全てのツイートを吟味するらしいのですが、

「ジェフ・クーンズは村上隆よりキレ者だった」とか言ったら、

それを発見して@ナシで雄叫びを上げ、

「村上隆の映画『めめめのくらげ』の予告編を見たが、

宮崎駿とピカチュウの真似としか思えない。」とツイートしたらば、

@ChieKaihotsu うるせ〜なぁ。ステレオタイプなリアクションしたできんとか?インテリの面目躍如して欲しいもんだ。」

と帰ってきた。(勝手にコピペしてごめんなさい)

しかし私は、村上隆のデータベースにある日本の漫画・アニメ・邦画の歴史を全く知らず、

「だからついて行けんのじゃ!」みたいなことを返した気が…。

そしたら「了解!」と。

 

が、このNPOによって担われ、批評家不在の状態では、ぬる~いアートしか育ちません。

これは日本に限ったことではなく、世界的な現象でもあって、どこもかしこもレトロスペクティブだらけ。

世界のアートシーンが最後で最終の砦として矢を放ったのが「クール・ジャパン」ですから、

第一線の日本のアーティストには、しばらくは光明があたり続けるでしょうけど、

新顔さんが突出してくるでもなく。

以前、Pixivが、カイカイキキの行った「カオス*ラウンジ」展に喧嘩を売ったことがありましたが、

数少ない芸術系の大学を出た、アートに関わるゼロ世代の批評家、黒瀬陽平の尽力があってか、

現在は「pixsive Zingaro」なるモノが出現するという次第。

 

昔は「ボードリヤールってカスなのに、なんであんなもんに騙されるかね?」とか、

「タブローという概念は古の宗教画に始まり、現代美術によって強化された…」とか、

「ドゥルーズによれば」とか喋ってたワタクシの世代も、

BLだとかリア充だとか毒男アニソン腐女子などのキーワードを知らねば会話できない始末。

同輩と言っていいだろう椹木野衣なんぞ、日本の美術史、ヲタク史から逃げるが如く、

岡本太郎贔屓になっている昨今なのであります。

これ、話が尽きないのでここらへんでやめときます。

(ママンがとっとと洗濯物を干せ!と言ったのでw)

ってことで次回に続く。

 


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