開発チエ
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KAIHOTSU Chie/開発チエ
アートのお作法

慶應義塾大学卒業時より「美術手帖」「STUDIO VOICE」「SALE 2」などに美術批評を執筆。批評家生活10年経過した後、筆を折り帰郷。犬2匹と実家でのんびり生活中。

これがアートのお作法

お久しぶりすぎて申し訳ありませんでした!

1990年、水戸芸術館でクリスチャン・ボルタンスキーの個展が開かれました。

当時ワタクシ25歳。生意気で、誰に対してもとげとげしく、好戦的な時期でしたが、

何故かこの作品に、ずーっと疑問を持っていたのです。

ボルタンスキーの作品のテーマは、一言でいえば、

「ホロコーストを忘れるな―Remember The Holocaust 」

ナチスに虐殺されたユダヤ人たちに祈りを捧げるための祭壇、

実際あった、虐殺されたユダヤ人たちが着ていて、そして剥ぎとられた衣服の山・・・

もちろんホロコーストを忘れないことは重要です。「無かった」なんてとんでもない。

しかし・・・

殊に、祭壇的な作品は、女性に人気がありました。「泣ける」と。

私はこう思いました。「なんだ?このお涙ちょうだい的物体は?」と。

私は怪訝に思っていたので、作家を囲んでの記者会見の時、

「一言でコイツをやっつけるには・・・」ってなことを考えていました。(若造がw)

で、こう聞いてみたんです。

「For you, what is human rights?―あなたにとって人権とは何ですか?」と。

そうしたらどうでしょう? ボルタンスキーは驚いて、口に手をやってオロオロし始め、

横にいたスタッフたちに助けを求めるようにゴニョゴニョ話しはじめました。

ヒッヒッヒ( ̄▽ ̄)、やっぱペテン師だったか。くらいの事は思ってましたね。

何しろ若造なんで(笑)

 

さ、問題はここからが重要です!

「東京には、ボルタンスキーを一言でやっつけた女がいる」という噂が、世界を駆け巡ることになるのです。

アートワールドって、そういう風にできています。

 

確かボルタンスキー展のあった辺りの年に、ふくい国際ビデオビエンナーレで、シンポジウムのパネラーをやりました。

単に私が福井県出身だったので選ばれたのでしょう。

ベルリンの壁が崩壊して間もない頃でした。

パネラーの面子は、アルス・エレクトロニカの主催者、何とかっていう東欧の美術館の館長、旧東ドイツのアーティストでした。

そこで、「西側だってうまくいっているわけではない。壁の向こう側から来た『テトリス』が無ければ、ゲームさえ行き詰っていた。」というような事を話したような。

とにかくえらく気に入られて、シンポ終了後、たくさんの資料を頂きまして・・・

またここからが問題!

私とシンポで同席した皆さんが、東京のギャラリー巡りをしながら、「日本でわかっているのは開発だけだ」とそこいらじゅうで吹聴して回って下さったそうで(笑)

この話も世界中を駆け巡ります。「日本にはすごい女がいる」と。

 

ほんと、ありがとうございます(^^♪

ですが、アート・ワールドなんて小さいもので。別に雑誌の取材が押し寄せたワケじゃありません。

何しろ若すぎたし、私が日本のアート界を背負うような存在に成長すれば、「お久しぶりです!」と、彼らとハグする機会もあったでしょう。

が・・・

人生怠けてしまったので、この有り様(笑)

世界に私の存在を届けて下さった皆様、申し訳ありません。

 

アートのお作法その1。

作家でも批評家でも、世界中を震撼させる存在になれ。

(だって、他の分野と比較すれば、結構簡単なんだもん。マジで。)

そして、ゲットした評価を裏切らずに前に進め!

才気は努力なくしては灰塵と帰す。(自分への説教っぽいw)

地球を外側から見る位置に立つ道は、そんなに遠くはありません。

 

 

 

 


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